もちもち日記

TEAM NACSと関ジャニ∞とKiS-My-Ft2

OOPARTS Vol.3「HAUNTED HOUSE」

2月12日OOPARTS Vol.3「HAUNTED HOUSE」
東京初日舞台、観劇。


※以下、盛大なるネタバレだけではなく私の独断と偏見のオンパレードとなっております。
一応の注意喚起はしましたので、スクロールするのは皆様次第でございます。





あらすじ
ひなびた温泉街にある、経営の傾いたお化け屋敷で苦境から脱する打開策もないままに日々働くフランケンシュタインの社長、正社員のドラキュラほか従業員たち。そこへ一人の少女がやってきて、ここで働きたいと言い出し、様々な改革のアイディアを提案する。従業員たちも彼女に乗せられる格好で再建に立ち上がるのだが……。


登場人物
・お岩さん(渡辺いっけい)
昔ミュージシャンを目指していた。私服がロックンロール全開。熱血で空気が読めない。契約社員だったがの最後には正社員になる。

フランケンシュタイン(森崎博之)
お化け屋敷の経営者。社長。お化け屋敷の経営者なのに怖がり。
祖父はガダルカナル戦線にて徴兵で駆り出された際に片脚を失った。日本に帰り働く場所を失った仲間たちと共に世の中に対する恨みを抱えてお化け屋敷を始める。そのお化け屋敷を継ぎ、再建を目指し奮闘。

・ドラキュラ(鈴井貴之)
副社長。恐妻家。小心者でヒステリックな一面を持つ。あまり頭がよろしくない。キャラクターとしては1番シンプルな設定。

・ろくろっ首(上地春奈)
ネガティブ思考で孤独。恋人(傍から見たらヒモ)を殺した過去がある。その恋人にあっちの世界へ行って欲しくなくてずっと“恨んでいて”欲しいと願っている。

・ゾンビ(多田直人)
最初はキレやすい今時の若者。先天性の難病で小学校に通うことも出来ず、生きている間は殆ど意識不明だった。希望の無いこの世が“恨めしく”てあっちの世界に行けなかったがお化け屋敷で働いているうちに希望を見出してあっちの世界へ旅立った。

キョンシー(田島ゆみか)
根は真面目ないい子。有り得ない言い間違いばかりをする。横断歩道を渡る際に酒気帯び運転の車が突っ込んできて死んでしまった。ゾンビ同様に希望の無いこの世を恨んでいたが、働いているうちに恨めしい気持ちが消えてあっちの世界へ旅立って行った。

・落ち武者(藤村忠寿)
壇ノ浦で平家側で戦い、戦で負け主君と共に海に身を投げた。その後何百年という時をさ迷い続ける。ガダルカナル戦線へ行った際に社長の祖父が落ち武者を庇い片脚を失う。恩を返したいが為にお化け屋敷で働いていた。最後はあっちの世界へと旅立つ。

・鹿島玲子(清水由紀)
お化け屋敷に突然現れ働かしてくれと社長を説得。子供の姿をしているが時折垣間見える大人びた発言に一同は不思議がっていたがその正体は社長の死んだ祖母。社長へはっぱをかける為に現れた。



OOPARTS Vol.3「HAUNTED HOUSE」
観て参りました。
いやはや、なんと言いますか期待に答えられて裏切られた、とでも言えば良いのか…。遊び心満載の不思議な不思議な舞台です。
この舞台について語る上で私なりにいくつかのキーワードが思い浮かびました。それに沿って感想を連ねていきますのでどうぞよろしくお願い致します。

キーワード
①作品性<“楽しんでもらう”舞台
②舞台セット
③物語りとしての「HAUNTED HOUSE」
④生きている人間が一番怖い



以上、4つのキーワードを元に感想を書いていきます。前置きが長くなりましたね。では、そろそろ本編へ。








18時20分、予定より10分早く開場。2列に並び、チケットを確認されて続々と会場へと進んで行きました。
そこですぐに目に入ったのが物販コーナー。小さめで、係の人も少ないので予めに買いたい物を決めておいた方がスムーズに買えます。私は最初の方で買えたから良かったのですが結構並んでいて10~15分程度待つ方もいたそうです。別にここで買えなくても終演後にも物販コーナーはやっています。買うならお帰りの際で。
それよりも早めに席に着いているのがお勧めです。
何故なら、客席に来るんです。出演キャスト陣が。
森崎さん以外のキャスト陣が、上映5~10分前くらいから客席をウロチョロします。なので皆様ぜひお席に着いてお待ちください。



キーワード①『作品性<“楽しんでもらう”舞台』



上演前から客席をウロチョロし始めた鈴井さん(もちろん衣装を身に纏っています)。ウロチョロしながら「ドラキュラだぞぉ」と客に言いながら歩き回っていて、おまけにその後ろをハンディカムを持ったスタッフさんがピッタリとくっついて歩いていました。
鈴井さんがウロチョロしてて、それにばかり気を取られていたら客席のあっち側にはキョンシーが、今度はそっちにろくろっ首…ああ、お岩さんと落ち武者まで!お化けたちが会場を歩き回るせいで何が何やら。当のお化けたちは怖がらせているつもりですが聞こえるのは笑い声ばかり(ちなみに落ち武者(藤村さん)が出てきた時に一番の歓声が上がりました)。
私も他のお客さんと共に笑ったり、「ミスター!」と大きな声で呼んでみたりとしていました。
「上演前だっていうのに客席に降りてきて、サービス満点だなぁ」と呑気に思っていました。
が。ここで違和感を感じました。
上演前のサービスにしてはどこか変なんです。サービスでやってるならもっと客席の人と絡んで良さそうなのに、何がか不自然。何が引っかかる。
引っかかったものをそのままにして、すると森崎さんが声で場内のアナウンスが流れました。変な声の出し方をしていたせいか噎せていて、そこでも笑いを取ってしまう森崎さんは流石です。
で、ようやく舞台が始まりました。
暗転し、明かりが付き、舞台セットの全てが見えてワクワク感も高まります。
そこで第一声、ドラキュラ(鈴井貴之)。
「だからお化けが笑いものになってどうすんだよ。お客を怖がらせてナンボだろうが」
この言葉にハッとしました。
ああ、そうか…私たちは“お客”なんだ、と。
上演前のサービスかと思いきや、それも含めて舞台の1部だったのかと気が付いて「鈴井貴之にしてやられた!」と思いましたね。正直悔しかったです(笑)
だけど気持ちのいい裏切られ方でした。客席を巻き込んで、全てを舞台にしてしまうなんて…。
ちなみにこれ、物語の中盤でもあります。お化けたちが宣伝用のフライヤーを配りに客席にまた降りて来るんです。私もなんとか落ち武者からゲットしました。裏に当たりの印があると素敵なプレゼントが貰えるようなので皆様頑張って手に入れてください。余談でした。話を戻します。
パンフレットで鈴井さんは「今回、一番に考えたのは、僕自身の思考、作品性ではなく、どんな舞台を作れば観客の皆さんが楽しんで頂けるか。それを常に考え脚本を書き、演出プランを練り、稽古に臨みました。」と話しています。
今回の舞台はとにかく観客を楽しませたい、気持ちよく帰ってもらうにはどうしたらいいのかという心持ちで臨んでいたようです。それだけであればこれは完全に鈴井貴之の思惑通りです。観劇しにきたつもりがいつの間にやらお化け屋敷にお客として連れて行かれてたなんて、まさに“楽しんでもらう”舞台でした。



キーワード②『舞台セット』



前回はシーソー。今回はネット。またしても面白いセットを作ってしまった鈴井ワールド。見た目のインパクトは確かにあります。
このネットを使った舞台に関しては鈴井さんがご自身のTwitter(2016年2月2日)で1番に情報を解禁していましたね。私はネタバレwelcomeな人間ですが、今回ばかりは知らなければ良かったと思いましたね。
先に形を見てしまったせいで私の頭の中で「こんな風に使うのかな?それともこうかな?」と勝手な想像が膨らんでしまい、些か物足りなくなってしまいました。
こればかりは言わないで、観た人の口伝えで噂が広がっていった方が良かったのではないかと…。たぶんその方が想像も制限されますし。口伝えで広がっていく“演出”でも良かったのではないでしょうか。
しかしながらこのネット使った演出、これは動きが予測出来ません。たぶんどの公演も同じ動きをするのは不可能では無いでしょうか。それを見越してTwitterに画像をあげたのかなぁ…。
「仕掛けを知られたからといってこの舞台がつまらなくなるわけが無い」という自信と「さぁ、見せてしまったぞ。ハードルあげちゃったなぁ」という自分を追い詰める二つの側面を感じました。
私は今回席が17列25番の上手寄りだったのですが、この席は私的にはかなりの良席でした。せっかく生で役者を見るのだから近くで見たい気持ちも分かります。しかし、今回の舞台に至っては真ん中より少し後ろの席をお勧めします。舞台セットがよく見えるんです。全体的に広く見渡せるお陰で端から端まで見えるのは面白い。気にする余裕があるのならば席に座るお客さんも舞台の一つとして捉えて見てみるのも良いかもしれません。



キーワード③『物語りとしての「HAUNTED HOUSE」』



ド直球に申し上げますと、この舞台は物語りを楽しもうと思って観ない方がいいです。アトラクションに参加するような感覚で観るのが1番楽しめると思います。私はそれで後悔しましたね。下手に難しく考えてしまったお陰で観ていて疲れました。終始、鈴井さんの事だからなんか裏があるんじゃねーかと疑って観ていたせいでございます。この舞台は身構えずに頭を空っぽにしてご覧ください。それが出来ないのであれば、頭をフル回転させて物語の全ての裏をかいていくくらいの心持ちでご覧ください。どちらでも全力で楽しめます。…うーん、矛盾してますね(笑)
そんな訳で物語りについてですが、この物語は至極単純。物凄い簡潔に表すならば「せっかく働くんだからそれに生き甲斐(希望)を見出そうぜ!」くらいに捉えればいいと思います。
雑誌のインタビューで鈴井さんは以下のように述べていました。
「今の時代は色々な問題を抱えすぎていて、考えることも多くて…。それを“演劇”というような娯楽の中にまで組み込んで、さらに考えさせる必要があるのだろうか?と思うようになったんです」
「みんなが笑えるものを目標にしたかったんですよ。“楽しさ”を追求できたらいいと思ったんです」
(どちらもfabulous act Vol.5より抜粋)
あの鈴井貴之がこんな思いで舞台を作っていたことに衝撃を受けました。作り手の伝えたいものを観客に押し付けるものではなく、それよりもどうやって観客を楽しませるかに力を入れていただなんて…。正直、昔の彼からは想像がつきません。
歳を重ねる毎に視野が広がって、要らない角が削ぎ落とされてより味のある人間性を作り出していく彼の面白さを改めて感じました。演技にもそれが出ていましたね。個人的な意見ですが、鈴井さんの演技ってとても華があると思います。
ドラバラでもなんでもいいです。試験に出る日本史でもいいです。彼の若い頃の演技を1度でも観たことがある人になら私の言わんことが伝わるでしょう。1度画面に映ればその場にいる誰よりも華があって、圧倒的な存在感を放つ。たまりませんね、演じている時の彼のギラギラした目付き。
そんな彼が、この舞台では華が無かったんです。どんな役を演じていてもどこかにギラついたものを隠していたのに、それを感じとれなかったんです。
流石ですねぇ。観ている時に何度も感嘆の溜息を漏らしたことか…。あの演技が観られただでも大満足です。
また話が脱線しましたね。いかんいかん。
見終わって直後は、物語のオチにいまいちスッキリとしませんでした。ヌルッと始まりいつの間にか終わってしまったような感じが物足りず…。なんかモヤモヤが残る不完全燃焼な感じを引き摺ったまま家に帰り、少し落ち着いてから買ってきたパンフレットと台本に手を取りました。台本を開いて一ページ目、1枚の紙が挟まっています。『この本を読んで頂くにあたって』と書かれたそれを読んでまた「してやられた」と思いました。何から何まで楽しませようとする彼の姿勢に感服です。
「舞台は生もの」
その言葉の真意をどう受け止めるかはその人次第でございますが、私はこの言葉でこの物語のオチが私の中で消化されました。何から何まで鈴井貴之に振り回されてしまいましたね。悔しいが楽しい!
しかしまぁ…本編と台本じゃオチが全然違う。今後の舞台でどうなって行くのかが楽しみです。
どうせDVDも出るだろうからその時にはどんな物語が収録されるのか…。舞台が終わってからも楽しめるだなんて、気が抜けません。




キーワード④『生きている人間が一番怖い』



物語りの隙間隙間に登場人物が自ら自分が“人間”であるかどうかを匂わせています。落ち武者に至っては割と初めの方から「ああ、こいつはホンモノなんだ」とすぐに気が付きましたね。どのくらいの人が初めの方で気が付いたんだろう。
鹿島玲子は登場した時から「あー、これホンモノだな」とすぐに分かると思います。
ゾンビとキョンシーはわかりやすく言い切っていたのでまたこれも分かりやすい。
だけど、ただ一つ最後まで分からなかったのがろくろっ首でした。
最初に「こいつはどっちだ?」と思ったのは第6場でゾンビとキョンシーが自分たちがどうやって死んだかを話す場面があるんです。そこでろくろっ首は自分の暗い過去を話します。付き合っていた恋人の話を聞いた2人は「騙されてるんだ」、「貢がされていただけだ」とろくろっ首に指摘しますが彼女はそうとは思っていません。
「彼は本当に優しい人でした。私にお金をねだっていたけど、それは本当は私のために使ってて、私に何かあったらと保険をかけていてくれたんです」
そう語る彼女の姿は幸せそうで、とても悲しいものでした。
キョンシーとゾンビはろくろっ首が死んでいると思っています。だけどろくろっ首は死んでいないと言います。私はここで「彼女は愛した人に殺されて、死んだことに気が付いていないのか」と思いました。
ゾンビが言います。「じゃあ、恋の結末はどうなったの?」
ろくろっ首は答えます。「結末なんてありません。私は今も彼を想っているから、私の恋は終わってないんです」
上地さんのあの演技にゾワリと背筋が冷たくなるような感覚がしました。いやー、恐れ入りました。
そして彼女が人間かどうかが有耶無耶なままで物語は進んでいくのですが、物語りのミソになる“生きている人間が一番怖い”というこの言葉が後々効いてくるとは…。
最後の最後で明かされました。
死んだのは彼女ではなく、彼女の恋人。彼女は愛した人を自らの手で殺しました。愛しているからこそ、ずっと一緒にいたいから殺した。その罪悪感を彼女はずっと抱えて生きていくのでしょう。これから先も。だけど許して欲しいとは思っていません。何故なら許してくれたら恋人は“あっちの世界”へ旅立ってしまうから。
これこそが彼女がこのお化け屋敷で働く理由なのです。
この世を恨む人ならざるものを引き寄せるこのお化け屋敷に現れる恋人に会うために、彼女は今日も首を長くして待っています。
正しく“生きている人間が一番怖い”。
コメディー色を全面に出した舞台なのにセリフの端々に垣間見える不気味さがその言葉の意味を表しているのだと思います。
ですが鈴井さん…あなたインタビューでこう言ってましたよね?
「今の時代は色々な問題を抱えすぎていて、考えることも多くて…。それを“演劇”というような娯楽の中にまで組み込んで、さらに考えさせる必要があるのだろうか?と思うようになったんです」
ばっちり考えさせられましたよ畜生!素直にこの人の言葉を鵜呑みにするんじゃなかった…。また「してやられた!」と思いましたよ…。
しかしまあ、『生きている人間が一番怖い』というのはその通りだと思います。そういえば日本のホラー映画だとこの手のオチが多いですよね。
ただのコメディーだけでは終わらせないところが鈴井貴之らしいといいますか、なんといいますか…。
作品性よりも楽しませる舞台を作ったという癖、作品性も素晴らしい。やっぱり流石だなぁ。





4つのキーワードを元に感想を書き連ねてきましたが、正直まだまだ書き足りません。
ですが、これ以上だと長過ぎるしいつまで経っても終わりが見えません。なのでここまでで一区切りとさせて頂きます。
もしかしたらまたちょろっと何か書くかもしれません。
尻切れトンボのようになってしまい申し訳ありません。
私がこの舞台を観て何が言いたいかといいますと…
鈴井貴之の掌の上で転がされていた」ということです。
悔しさと嬉しさが混ざってなんとも言えない心地良さ…嫌いじゃない…。